新選組の思い出
新選組隊士たちを世界の人々が再評価するきっかけに
■新選組隊士たちを世界の人々が再評価するきっかけに
近代の庶民の政治参加に先駆けた組織として新選組を描きたい。そんな思いがあって、先頃『明治維新に不都合な「新選組」の真実』という本を上梓しました。書いてみると自分の未熟さがわかって汗顔の至りですが、この辺りのことは書けたのかなと思っています。
ところで昨年、前述した歯医者さんの本家にあたる本田家に関する展覧会が、くにたち郷土資料館で開催されました。「本田家と江戸の文人たち」というタイトルでした。筆者はその後、転居してしまったので、久しぶりに国立を訪れたのでした。
この資料館はなかなかわかりにくい場所にあって、まるで人に来てほしくないんじゃないかと思わせるほどです。でも、そんな商売っ気のなさは今日では貴重で、好感が抱けるというものです。
この展覧会をみると、本田家は江戸の著名な文化人とつきあいがあり、当時の村の名主は大きな社会的交流のなかで活動していたことがわかりました。江戸時代の名主は、やはりリーダーシップを発揮しなければやっていられない存在だったのです。
その後、懐かしい歯医者さんの医院に行ってみたら、今流行りの古民家カフェになっていました。筆者が診てもらった歯医者の先生は、もうお亡くなりになっていて、古民家カフェのご主人は、なんとイギリスの人なんだそうです。時代が変わったのですね。でも、その古民家カフェのイギリスの方は、日本の民家にとても愛着をもっているようです。良いものは国籍とかに関係なく、いいものなんですよね。
近藤勇や新選組の面々は日本史上の人々ですが、世界のどこの国でも近代への変革期では、印象的な人々が多く出現して活動していきます。筆者の書いた本がそのような視座から、新選組隊士たちを世界の人々が再評価するきっかけになってくれればいいと願っています。
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KEYWORDS:
『明治維新に不都合な「新選組」の真実』
吉岡 孝 (著)
土方歳三戦没150年……
新選組は「賊軍」「敗者」となり、その本当の姿は葬られてきたが「剣豪集団」ではなく、近代戦を闘えるインテリジェンスを持った「武装銃兵」部隊だった!
いまこそ「官軍の正義」を疑え!「新選組の歴史」が変わる!
初公開を含む「豊富な図版点数」を収録。
いまこそ「新選組」の本当の姿をお伝えしよう
◆長州&土佐は上洛直後の新選組のスカウトに動いた
◆新選組は剣豪集団ではなく「武装銃兵」部隊だった!!
◆「俺たちはいくらでも近代戦を戦える!」
―――――そう語ったと読み取れる土方歳三の言葉とは!?
◆新選組の組織と理念は、本当は芹沢鴨が作った?
◆近藤勇より格上の天然理心流師範が多摩に実在!
◆新選組は幕末アウトロー界の頂点に君臨していた!?
◆幕末の「真の改革者」はみな江戸幕府の側にいた!!
ともすると幕末・明治は、国論が「勤王・佐幕」の2つに割れて、守旧派の幕府が、開明的な 近代主義者の「維新志士」たちによって打倒され、「日本の夜明け」=明治維新を迎えたかの ような、単純図式でとらえられがちです。ですが、このような善悪二元論的対立図式は、話と してはわかりやすいものの、議論を単純化するあまりに歴史の真実の姿を見えなくする弊害を もたらしてきました。
しかも歴史は勝者が描くもので、明治政府によって編まれた「近代日本史」は、江戸時代を 「封建=悪」とし、近代を「文明=善」とする思想を、学校教育を通じて全国民に深く浸透さ せてきました。
そんな「近代」の担い手たちにとって、かつて、もっとも手ごわかった相手が新選組でし た。新選組は、明治政府が「悪」と決めつけた江戸幕府の側に立って、幕府に仇なす勤王の志 士たちこそを「悪」として、次々と切り捨てていきました。
新選組の局長近藤勇は、自己の置かれている政治空間と立場を体系的に理解しており、一介 の浪士から幕閣内で驚異的な出世を遂げた人物です。そんな近藤の作った新選組という組織 を、原資料を丁寧に読み込み、編年形式で追いながら、情報・軍事・組織の面から新たな事実 を明らかにしていきます。
そこには「明治維新」にとって不都合な真実が、数多くみられるはずです。